荻窪の著名人

荻窪(杉並)には戦前、戦後を通して多くの文化人が住んでいました。阿佐ヶ谷の文士村に影響された作家をはじめ絵画、能楽師や作曲家、作詞家などその存在は多岐にわたります。こうした、知識人の作った環境が天沼に住む人々の誇りでもあり郷土愛に通じるものです。

太宰 治(だざい おさむ)

明治42年(1909年)~昭和23年(1948年)◆本名・津島修治 明治42年(1909年)、青森県北津軽郡金木村の大地主の家に生まれる。◆『逆行』で第一回芥川賞候補になった後、沈滞した時期もあったが、昭和14年の石原美知子と結婚後、『富嶽百景』『走れメロス』『津 軽』など秀作を次々と発表。◆上京してま間もなく昭和8年から昭和13年までを杉並で過ごした。◆昭和14年『満願』が国民新聞の短編小説コンクールに当選、昭和15年短編集『女生徒』が北村透谷文学賞の副賞に選ばれた。◆戦時中も創作意欲は衰えることを知らなかったが、戦後『ヴィヨンの妻』『斜 陽』で流行作家となった。◆学生時代の左翼運動の挫折に加え、4度の自殺未遂とパビナール中毒による自虐的な苦しみが作品に影を落とし、道化的精神を含む独特の文体が特徴。無頼派、新戯作派と呼ばれた。◆昭和23年(1948年)6月13日夜半、山崎富栄とともに玉川上水に入水。遺体は19日に発見された。◆毎年6月19日には、「桜桃忌」が東京都三鷹下連雀の禅林寺で行われている。