荻窪の著名人

荻窪(杉並)には戦前、戦後を通して多くの文化人が住んでいました。阿佐ヶ谷の文士村に影響された作家をはじめ絵画、能楽師や作曲家、作詞家などその存在は多岐にわたります。こうした、知識人の作った環境が天沼に住む人々の誇りでもあり郷土愛に通じるものです。

鈴木信太郎 (SUZUKI Shintaro)

◆1895年 八王子の生糸業鈴木金蔵の長男として生まれる。◆1913年 絵に対する画家としての不安が強くなり、帰郷。府立染織学校に入り織物図案を習う。又上京し図案家として立つべく滝沢邦行の下で数年間研究。◆1916年 文展洋画部に《静物》出品入選。安井曽太郎の帰朝作品に感動。◆1922年 《桃と紫陽花》二科展出品初入選。中出三也、甲斐仁代、三岸好太郎、吉田節子(三岸)とその他二科新人等と1920年社第2回展開催。石井柏亭に師事。志賀周子と結婚。◆1924年 中村彜歿後、鈴木金平の紹介で「中村画家クラブ」に入る。◆1929年 《孔雀礼讃》を二科展に出品。会友となる。三越にて最初の個展開催。◆1930年 居を八王子より東京荻窪に移す。◆1933年 二科会々員となる。この前後、房州、伊豆江ノ浦、真鶴等の海岸、奈良等の風景を描く。◆1944年 戦争苛烈となり西多摩の五日市町に疎開。小部室で静物を描けず、周囲の山や川を描く。《桐の花》◆1946年 4月荻窪に帰る。二科会復活。東郷青児、高岡徳太郎、野間仁根等と華かに再出発。◆1950年 井ノ頭線三鷹台に居を移す。《雪景色》を数点描く。国際美術展、二科春季展に出品。◆1953年 厳島を訪れる。国立公園展、二科展出品。三越にて個展開催。